第10章 消費
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数百年の間に、経済がきわめて多くのものを安く簡単に作り出すようになって、人類の物質的な要求はすべて満たされるだろう
21世紀の労働者は週に15時間未満しか働かなくてよく、残りの時間を芸術、娯楽、友人や家族のために使うことができるようになる
つまり、よい人生を送れるようになると述べた
2030年は目前に迫っているが、世の中がケインズの予言した娯楽社会に向かっているように見えないことは明らか
実際、わたしたちの大後は今でも、100年前に祖父母の祖父母が働いていたのとほぼ同じ時間働いている
1000人の職業人を対象にしたハーヴァード・ビジネス・スクールの調査によれば、94%が少なくとも週50時間働き、ほぼ半数が65時間を超えて働いている
別の調査では、大卒アメリカ人男性のうち日常的に週50時間を超えて働いている人の割合は、1979年の24%から2006年には28%に増えた
最近の調査では、スマートフォンを利用している人の60%は1日に13.5時間以上仕事とつながっている
ヨーロッパでは労働法が過労を抑制しているにもかかわらず、イギリスでは10人中4人の管理職が、かつて「アメリカの病」として知られていた過労の犠牲になっており、週60時間を超えて働いていると述べている(The Economist, 2014) しかし同時に、多くの観察者が指摘しているように、貧困者の一部は盾貧しくても、いにしえの王や女王よりよい生活をしている
大きな答えの一つは、激しい出世争いにどっぷり浸かっているから
競争のシグナリングで張り合っている
どれだけ早いスピードで経済が発展しようと、性と社会的地位の需要は依然として限られている
そして収入と支出は、それを争うにあたって今なお最適な方法だ
地位を争うために重要な方法は衒示的消費とならんでもうひとつ、名声ある仕事をすること、すなわち衒示的生産
Venkatesh Rao「私たちはキャリアを『買い物のように見て回る』。勤め先に名声あるブランドを求める。仕事に『充足感』を求める。ときにはよく知られている名前と引き換えに給料が下がることさえ受け入れる。仕事がファッション・アクセサリーであり、会話の素材になっているのだ」(Rao, 2013) 人々がものを買うのは純粋な個人の楽しみのためではなくむしろ見せびらかす、あるいは「世間に遅れを取らない」ためだと非難されている
実際、VeblenはまさにKeynesに対するこの「反証」を見抜いていた
「産業の効率が上がって、少ない労働力で生活できるようになると、コミュニティ内で産業に関わる人々のエネルギーは、ゆったりしたペースに落ち着くのではなく、衒示的支出が増加する方向へ向かう」(Veblen, 2013) 社会階層のはしごであなたより上にいるヒトを思い浮かべれば、派手な買い物の実用性を疑うことは簡単
同じ論理があなた自身の「ぜいたくな」ライフスタイルにもあてはまる
ただ自分のことは見えにくいだけ
わたしたちの感情と思考習慣はきわめてよく訓練されており、また自分の富と社会的状況に合わせて細かく調節されているため、買い物の決断はほぼ自動的に行われている。
したがって、自分の外側から、すなわち他の観点から眺めたり、自分なら選ばない選択を想像したりしない限り、自分自身の決定の裏に潜んでいる大局の論理を垣間見ることはできない
富のほかに
社会通念としては、消費者が安く、機能的で、豪華な非エコ代用品ではなくエコ商品を買うのは「環境を助けるため」
実験者は被験者に価格が同じふたつの商品からひとつを選ばせる
一方は見栄えはするが非エコ商品で、もう一方はエコ商品だが見栄えはしない
統制群の被験者は、圧倒的に高級な(非エコ)商品を好むと答えた
実験群の被験者は、あらかじめ地位争いを促すような予備知識が与えられ、そのあとで商品を選ぶよう求められた
社会的地位を求める動機をあらかじめ与えるために、被験者は、新しい仕事の初日に上司によい印象を与えて出世階段を昇りたいという短い架空のシナリオを読まされた
すると、実験群の被験者は各商品のうちエコな方に大きな関心を示した
別の実験では、グリスケヴィシウスのチームが被験者にふたつの異なる買い物のシナリオを与えて、エコ商品を買いたいか非エコ商品を買いたいかを尋ねた
一つのグループは、オンライン、つまり他人のいない自宅での購入を想像するよう求められた
もう一方のグループは店舗で、つまり公の場での購入を想像するよう求められた
すると、地位争いを促すような予備知識がある場合には、被験者は公の場ではエコ商品を好み、オンラインショッピングではエコ商品を好まないことがわかった
セダンのほうが人気があるにもかかわらず、トヨタはアメリカ市場向けにセダンではなくハッチバックを生産することを選んだ(DeMuro, 2013) 衒示的消費の議論では、いかに人々が富と社会的地位のシグナルを送るために商品を用いているかに焦点があてられることが多い
しかし、その言葉に含まれる範囲はじつはもっと広い
たとえば、ハイブリッド車の所有者はおそらく本質的に自分の富を宣伝しようとしているのではないだろう
プリウスは通常のガソリン車と価格があまり変わらないし、BMWやレクサスのような高級なステータスもない
代わりに、プリウスの所有者は「向社会的な態度」すなわち、自分がよき隣人であり立派な市民であるというシグナルを送っている
それ以外に、消費者が熱心にシグナルを送ろうとする望ましい特性には以下のものがある
特定のサブカルチャーへの忠誠
地元のスポーツチームの帽子
ロックバンドのTシャツ
こうした商品は社会的なメンバーシップとして機能する
格好良く、流行の最先端で、「通」であること
最新のファッション
出たばかりのハイテク機器
知性
ルービックキューブを所持しているのは、解くために必要な、分析能力に優れた精神を持っているという宣伝
繰り返しになるが、これらは購買によってシグナルを発信できる多くの特性のほんの一部にすぎない
運動能力、向上心、健康志向、従順さ、若さ、性的に寛容、そして政治的な傾向までもが含まれる
Millerによれば、わたしたちが見せたくてしかたのない重要な特性は、個人間で大きく異なり、自分の社会能力と好みを強く示唆する、安定した特性である。そこには健康、生殖能力、美しさなどの身体的特性、良心、愛想のよさ、新しいものごとに対する寛大さなどの精神的特性、一般的な知性などの認知的特性が含まれる。これらは友人、交配相手、同盟相手から尊敬、愛、支援を取り付けるために、人々が無意識に宣伝しようとしている生物学的な価値である。マーケティング担当者が我先に理解しようとしている重要な「潜在的動機」とは、そうした特性のディスプレイなのである。(Miller, 2009) たとえば、デニムは安く、丈夫で、手入れのいらない生地であり、富や階級の差を見分けにくくすることから、ブルージーンズは平等的価値観のシンボルである
むろん、本当はそれほど単純ではなく、開拓時代のアメリカ大西部でデニムが利用されていたなど、たくさんの歴史的な背景もブルージーンズの象徴的価値の一部になっている。詳細についてはDavis, 1994 よい特性のシグナルを送っているのは商品だけではない
いかにして、あるいはなぜそれを手に入れたかというストーリー
そのストーリー如何で、同じ商品が持ち主について異なるメッセージを伝えている場合もある
三人が同じランニングシューズ
ランナーズ・ワールド誌で高評価を受けていたから買った
運動機能への関心はもちろん、細かいところまでチェックする特性についてシグナルを発している
児童労働を介さず製造されたから買った
他者の生活を気遣う特性
いかに割引で安く手に入れたかを自慢
倹約家で買い物上手であることを見せつける
人々が自分の買い物についてよく話すという事実からはまた、物質的な商品にくわえてサービスや体験も自分の望ましい特性を宣伝するために利用できるとわかる(Schor, 1998) ガラパゴス諸島への旅行は、その旅行について頻繁に話をしたり、土産物を持ち帰ったり、Facebookに写真を投稿したりすれば、ほとんど同じような効果がある
もちろん、旅行からは多くの楽しみを得られるが、その価値の一部は友人や家族と体験を共有できるという点にある
体験を買うと、たとえば冒険精神や新しい経験に前向きであることなど、物品では容易にシグナルを送れないような特性を示すことができる
消費者であるわたしたちは、こうしたシグナルの多くに気づいている
購入品から他者を評価する方法を知っており、自分の買い物が他者にどのような印象を与えるかもよく知っている
ところが、自分がものを買うときの決断がどの程度までこうしたシグナルの動機に基づいているかは、ほとんど認識していない
ものが自分の社会的な印象と自己像に合っていないと、突如として居心地の悪さを感じる
特定の印象を与えるためにどれだけ慎重にライフスタイルを作り上げているかを知るヒントになる
ティーンエイジャーはこうした文化的結びつきに敏感だ。それはおもに、彼らがライフスタイルのアイデンティティを構築している途中であり、自分に対して前向きに反応してくれる友人を探している最中だからだ。しかしながら、成長しきった成人は自分の文化的居場所にあまりに心地よく収まっているために、自分がいかに慎重に選ばれいてるかにほとんど気づかない
非衒示的消費
自分の宝飾品のよさを自分で味わっているという意見もあるかもしれないが、そのような楽しみは、他者の反応を想像して喜んでいるのと部分的に同じだ
しかしながら、商品のほとんどには自分用の価値とシグナルとしての価値が混在している
自分の家が訪れる友人や家族に与える印象を十二分に意識している
「ほとんどの階級において、観察車の目の前で繰り広げられる表立った生活の見せびらかしに比べれば、家庭での生活は比較的貧相である」(Veblen, 2013) 商品の多様性
互いの所有物を気に留めないようになると、商品の多様性がなくなる
何日も、他人と同じ服を着ることになったとしても気づきさえしないのだから、まったく気にならない
「同じ衣装を繰り返し着る頻度の低さも階級の指標である。裕福な階級では特別な日に前と同じ服だと指摘されることは恥である。職場へあまりにも頻繁に同じ服を着ていくことはタブーだ」(Schor, 1998) 現在、制服を着ることに抵抗があるのは、ひとつにはそれが個性を押し殺すから
自分だけの服を着るおもな理由は、仲間と区別して目立つため
衣服の選択によって発信される最も基本的なメッセージ「自分の装いは自分で決める、自立した人間だ」
車や家などのほかの商品カテゴリーでも同じような標準化が起きるだろう
企業が商品の標準化に転じる合理的な理由として、その方が圧倒的に安上がりだからということがあげられる
固定費用には商品のデザインや工場の準備などが含まれる
限界費用には原材料やエネルギーの価格、そして工場を動かす労働者のコストなどが含まれる
多様化のコストは配送費用も考慮するとさらに高くなる
店舗に服を買いに行くときは、布に加えてさまざまな費用を払っている
最新のファッションのなかから選ぶ機会にまで払っている
小売業は決められたシーズンに売れ残った商品すべてを処分しなければならない
今日の大都市には、数千ものブティックがあり、それぞれ異なるニッチな利用客に商品を提供している
そうやってすべての多様性が累積されている
一方で、コストコやイケアのように集約化された倉庫型店舗は、大量に生産し、配送を集中させることによって標準化された商品を大幅に値引きして販売することができる
わたしたちがこれほどまでに見せたがる消費者でなければ、そうした規模の経済を享受することができる むろんもとも社会的な製品カテゴリーにさえ、いくらかの多様性は残る
衣類はなおも異なる形やサイズ、異なる気候に合った異なる素材のものが必要
裕福な人は相変わらず、高価で品質の高い商品に多くの金を費やすことを好むだろう
カシミアを着てもスタイリッシュであるという評価は得られないが、それでも肌触りはやはりよい
しかし、多くの商品カテゴリーではすぐに多様性が失われ、いくつかの標準モデルだけが残るだろう
ここで、選択肢が少なく、安く、標準化された商品を買うことで節約される金銭がみなどこへいくかについて簡単に論じることは有意義だろう
重要なことに、わたしたちがたがいを評価する能力までがすべて奪われたわけではない
したがって、忘却されたあとも、ただ物質的な商品を見せびらかさないだけで、わたしたちは変わらずよい印象を与えようと努力する
広告
広告はどのように衒示的消費者に影響を与えているか
実際には広告が消費者に商品を買わせようとするメカニズムにはいくつか異なるものがあり、そのすべてがシグナルの本能に訴えているのではない
広告の多くは、純粋に個人で楽しむために自分用として商品を買う合理的な消費者をターゲットにしている
「情報の提供」
この種の広告が行動に影響を与えるにあたって、見る側が衒示的消費者である必要はない
「保証の提供」
保証ははときに保証書などを見てすぐわかる形で提供されることがある
けれども、ブランドイメージの一部として暗に示されていることも同じくらいよくある
ファミリー向けエンタテインメントの提供者として名を挙げているディズニーのような会社の場合、顧客はまさにそれをディズニーに期待する
映画に罵倒語や卑猥語を入れるなどして、ディズニーがその信頼を裏切るようなことがあれば、消費者は同社の商品をあまり買わなくなるだろう
したがって、伝えられ方の直接間接を問わず、その保証が動機になってブランドが約束を果たそうと努力するようになるという点でこうした保証には効果がある
そして消費者は、そうやって名声を懸けるブランドからより多くの商品を購入することできちんとそれに応える
しかしながら、少なくともひとつの広告の形は、そうしたわかりやすいメカニズムでは説明できない
コロナビールの広告はコロナの味、価格、アルコール度数など、他のビールと区別するような特徴についてはいっさい触れていない
また、何の保証もしていない
この広告はたんにコロナビールを海岸でリラックスするイメージと結びつけようとしているだけ
そして結びつきはほぼまったく任意である
本質的にほかのビールよりもくつろげるというような特性はない
「このようなシグナリングの結びつきは一般に、消費者の社会的な仲間集団に理解されるものでなければならないが、そこに実際の商品が関わる必要はまったくない」(Miller, 2009) これを「ライフスタイル広告」と呼ぶことにしよう
ブランドや商品を特定の文化と結びつける試み
このテクニックは酒類、炭酸飲料、車、靴、化粧品、携帯電話、そしてもちろん衣料品など、様々な商品を売るために用いられている
たばこ広告に対する近年の取り締まり以前は、紙巻たばこがライフスタイルの結びつきを利用して宣伝されていたことは有名
イワン・パブロフの条件づけと同じように、ライフスタイル広告はブランドや商品をポジティブな感情と関連づけて消費者を訓練する こうした広告は消費者を洗脳していて(と説明は続く)、それは個々の人々に対して行われている
パブロフがこうしたライフスタイル広告の多大な効果に貢献していることは間違いないが、それより目につきにくい社会的ななにかもまた絡んでいるとしても不思議はない
デイヴィソンは、広告だけでなく、プロパガンダ、政治の弁論、時事ニュースなどを含む説得力あるさまざまなマスメディアによって、人間の認識と行動がいかに操作されうるかに関心を抱いていた
彼は、人々がしばしば自分は特定メディアの影響を受けないと言いながら、他者が影響を受けると信じていることに気づいた
ある知事候補が別の知事候補を攻撃する発言をしたとき、それを聞いたニューヨーク市民は、発現は自分自身の投票にはほんの少ししか影響しないが、平均的なニューヨーク市民にはもっと大きく影響するだろうと推測したのである(Davison, 1983)
コロナが「自分のビーチを見つけよう」という広告を流すとき、それは必ずしも見ているあなたをターゲットにしているわけではない
もしもその広告が他者のコロナを見る目を変えるとあなたが考えているとしたら、たとえあなた自身はビールはビールであってライフスタイルなどではないとわかっていても、コロナを買うことには意味がある
よほど注意深く観察しない限り、第三者効果は目につきにくい
ひとつには、一般に広告は消費者個人を直接ターゲットにしていると考えられているため、間接的な影響は見えにくいのだ
けれどもこれはまた、わたしたちが認識したくないこと、つまり脳のなかのゾウの緩やかな例でもある
すべての条件が等しければ、わたしたちは、自分のイメージをコントロールしたり友人に対する印象を操作したりするためではなく、自分がほしいものを買っていると考えたい
わたしたちの盲点であるにもかかわらず、第三者効果は広告界にはびこっている
ここでもまた、それが目立たない形で行われている場合がある
たとえば、2009年にニューヨーク市の地下鉄に掲げられた住民の健康に関する広告
砂糖を大量に含んだコーラが、ボトルからグラスに注がれるあいだに、濃い茶色の液体から油のにじみでる脂肪の塊へと姿を変える
広告は「まだ体重に注ぎ足しますか?」という標語でこのメッセージを不動のものにしている(Chan, 2009) 表面的にはこの広告はひとりひとりに直接訴えかけているように見える
一種の論理的な主張
けれども、購入物に基づいてたがいに評価し合っている社会的な動物に対してこの広告が与えそうな効果についても考えてみたい
このキャンペーンは三ヶ月続けられた
自分がその広告を見たなら、仲間も見た可能性は高い
仲間の圧力はきわめて大きな力であり、広告する側は自分たちに有利なようにそれを利用する方法を心得ている
ここで立ててきた仮説は、ライフスタイルあるいはイメージ広告が第三者効果の影響を受けているということ
実際にそうだと証明する根拠はあるのか
この仮説に基づくいくつかの予測
予測. ライフスタイル広告は個人用の商品よりも社会的な商品を売り込むために用いられる
もしライフスタイル広告がおもにパブロフの訓練によって機能するのであれば、すべての製品カテゴリーにおいて惜しげもなく用いられるだろうと考えられる
しかし、個人用の商品にライフスタイル広告はめったに見られない
代わりに、経験から言って、特定の商品をもとに誰かを評価することが簡単であればあるほど、文化的なイメージやライフスタイルの関連づけを用いて広告される確率が高い(Schor, 1998) 予測. ライフスタイル広告は一度にたくさんの人が見るほど効果が高い
もしライフスタイル広告がもっぱらパブロフの訓練によって機能するのであれば、広告主が気にするのは広告を見る人数だけ
それを見た人が他の人も見たかどうかを知っているかいないかは関係ないだろう
しかしながら、ライフスタイル広告が第三者効果で機能するのなら、あなたは他の人もその広告を見たかどうかをもちろん気にする
したがって、そのような広告は、たくさんの聴衆の前で示すほうが効果が上がる
これが、一度の放送で約5000万世帯もが視聴するスーパーボウルで流される広告と(Nielsen, 2016によれば2016年で5430万世帯)、たがいに知らずに5000万世帯にチラシが配られるダイレクトメールキャンペーンとの違い(むろん、ほかにも違いはあるだろう) 様々なテレビ番組や製品カテゴリーの広告価格を調べていたマイケル・チウェが発見したのがまさにそれだった 広告主は人気のあるテレビ番組では人気のないものよりひとりあたりで多くの金額を支払わなければならない
そして社会的な商品を売る広告主は一度に多くの視聴者に届けるためにそのプレミアムを進んで払う
スーパーボウルのような極端な例では、広告の大部分は社会的商品を売り込んでいる(Chwe, 2001) 人気の高いテレビ番組の名声のように混乱を助長しそうな要因もあるため、もちろんそれほど単純ではない
けれども、広告主が視聴者数という一次元的な基準で考えたとき以上に多額を支払っているというChweの主張には説得力がある
確かに、社会的シグナリングというよりネットワーク効果が原因となっている場合もあるだろう たとえばXboxはそのプラットフォーム向けにゲームを開発するようゲーム制作会社を説き伏せるためにも、ゲームをプレイする人から多くの支持を取り付ける必要がある
予測. ライフスタイル広告の一部は潜在的顧客ではない第三者をターゲットにする
もしライフスタイル広告がもっぱらパブロフの訓練によって機能するのであれば、その商品を買うことができない、あるいは買いそうもない聴衆に宣伝する意味はない
ブランドはできるかぎり購入層に的を絞って広告を出そうとするだろう
けれどもライフスタイル広告が第三者高価で機能するなら、商品によっては、買う人も買わない人も含めて幅広い視聴者をターゲットにすることにビジネスとして十分意味がある
「すべての広告には事実上2種類の聴衆がいる。それは商品の潜在的購入者と、商品の所有者をさまざまな望ましい特性で評価する商品の潜在的評価者である」(Miller, 2009) 買わない人をターゲットにする理由のひとつは、羨望を作り出すこと
ミラーが述べているように、多くの贅沢品がそれに当てはまる
「BMWのほとんどの広告はじつは、実際にBMWを買うかもしれない人よりむしろ、BMWをうらやむ人に向けたものである」と彼は言う(Miller, 2009) 広告の目的は、BMWが高級ブランドであるというイメージを非購入者に植え付けることだ
これは巧みな操作に感じられるし、実際そうだが、同じ手法はもっと名誉ある目的にも利用できる
アメリカ海兵隊は、体と精神を鍛える場として自分たちを広告している
そうすることで、入隊希望者だけでなく一般市民にも、海兵隊で兵役についた人物は体も精神も鍛えられていると伝えている
それが任務から戻ってきたときの支援になっている
要するに人間は、ほとんどの人が考えているよりも多様かつわかりにくい方法で見せびらかしている衒示的消費者である
広告する側はその性質を理解しており、自分たちに有利になるようにそれを利用している
けれども、広告は必ずしも、人間の不合理な感情を狙い撃ちして必要のないものを買わせようと洗脳しているのではない
むしろ、わたしたち自身と第三者の頭のなかはもちろん、より幅広い文化のなかでイメージの関連づけを行うことで、商品を表現の手法に変えているのだ
そしてわたしたちはその表現手段を用いて自分を表し、自分のよい特性のシグナルを発しているのである